「反戦の準備をしよう」法制大学名誉教授・全総長 田中 優子さんが語る

法制大学名誉教授・全総長 田中 優子さんが語る

法政大学全総長の田中優子さんは、1月15日付の東京新聞、「時代を読む」で「反戦の準備をしよう」と呼びかけました。

田中優子さんは、昨年12月、ジョンレノンの「平和を我らに」(ベトナム戦争時の反戦歌)を久々に耳にしたことや、同じジョンレノンの「イマジン」を思い出し、「今はそれが突き刺さる」と述べています。

敵基地攻撃能力などにふれながら、「日中戦争が『満州事変』という名で始まり、日米戦争が宣戦布告ナシに真珠湾攻撃で始まり、ウクライナ戦争が「特別軍事作戦」という名で始まったように、戦争は突然はじまり、その原因は一方的に相手にあるとされる。つまり『防衛のため』と言い続ける。だから、反戦の準備をしよう」と呼びかけた。

2023.1.15 東京新聞「時代を読む」

マルティン・ニーメラー の言葉

 「『発端に抵抗せよ』と『終末を考慮せよ』というあの一対の有名な格言を私は何度も考えてきました。でも、発端に抵抗するためには、それが発端だとわかるためには、終末が見越せなければならないのです。…ニーメラー牧師は、(御自分についてはあまりにも謙虚に)何千何万という私たちのような人間を代弁して、こう語られました。

ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた、と」

 マルティン・ニーメラー(1892―1984)の言葉として知られるものは、米国の記者ミルトン・マイヤーの著作『they thought they were free』(『彼らは自由だと思っていた――元ナチ党員10人の思想と行動』(田中浩・金井和子訳、未来社)〉の中にあり、ある言語学者が次のように語っているのを引用したものです。

 1933年、ヒトラーが首相になると、教会を第三帝国教会に一元化してナチズムに利用することや、ユダヤ人牧師などを排除する「アーリア条項」導入を企てます。

 第一次大戦末期、Uボート艦長として従軍、その後ルター派の牧師になったニーメラーは、ヒトラーが教会を攻撃した段階で立ち上がり、牧師緊急同盟をつくり抵抗しますが、37年7月、逮捕され、ザクセンハウゼン(後にダッハウ)強制収容所に終戦まで収容されました。(彼の生涯は、D・シュミット著、雨宮栄一訳『マルティン・ニーメラー』(新教出版社)にくわしい)

 45年秋、妻とともにダッハウを訪れた彼は、「ここで33年から45年までに238756名の人間が殺された」と書かれた掲示を見て、「自分はもう他人の罪について云々することはできないと感じた」といい、罪の自覚の上に、西ドイツの再軍備や核兵器に反対していきます。

 46年1月、ゲッチンゲンでの説教では次のように語っています。

 「私には罪がある。なぜなら私は1933年になっても、ヒトラーに投票したし、また正式な裁判なしに多くの共産党員が逮捕され投獄された時にも、沈黙を守っていました。そうです。私は強制収容所においても罪を犯しました。なぜなら、多くの人が火葬場にひきずられて行った時、私は抗議の声をあげませんでした」