ヘルマン・ゲーリング
「もちろん人々は戦争を望みません。これはイギリスでもアメリカでもドイツでも同じことです。
しかし人々は常にリーダーに影響をされてしまうのです。
簡単なことです。国民に向かってわれわれは攻撃されかかっているのだとあおりたてて、平和主義者に対しては、『お前たちは愛国心に欠けている、お前たちが国を危険にしているんだ』と非難すればよいのです」
「そしてこの方法は、どんな国でもうまくいきますよ」
ヘルマン・ゲーリング
アドルフ・ヒトラ—率いるナチス・ドイツでナンバー2まで上り詰め、一時はヒトラーの後継者とまで言われた軍人
ヒトラーの下で、ドイツ軍の空軍総司令官や国家元帥等を務めた人物で,戦後は戦犯として捕えられ、ニュルンベルク裁判で絞首刑の判決を受けましたが、刑の執行前に自殺しました。
刑務所に収容されている際、ゲーリングは、訪ねてきた米国人の心理学者グスタフ・ギルバートとの対話の中で語ったそうです。
ヒトラー の プロパガンダ 演説
- 「独裁政治」 → 「決断できる政治」
「独裁政治をやります」と言うとみんな反対するので、「民主主義では何も決まりません。私がリーダーシップをとって決断いたします」という。
つまるところ「独裁」 - 「戦争の準備をしています」 → 「ドイツ国民の平和と安全を守ります」
「戦争を準備しています」というとみんなが反対します。だから、「ドイツ国民の平和と安全をまもる準備をしています」という。やっていることは同じ。
そして戦争に反対する人々を徹底的に弾圧していきます。
最初は国会議事堂の放火事件を利用して「ドイツ共産党の仕業だ」と騒ぎ立てて共産党をつぶしました。
次に、社民党、労働組合、新聞記者、学生、最後はキリスト教の教会をつぶしていきます。
戦争 プロパガンダ 10の法則 アンヌ・モレリ
1.「われわれは戦争をしたくはない」
2.「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
3.「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
4.「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
5.「われわれも誤って犠牲をだすこともある。だが敵はわざと残虐行為に及んでいる」
6.「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
7.「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
8.「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
9.「われわれの大義は神聖なものである」
10.「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」
アンヌ・モレリ
ベルギー生まれ 歴史学者 ブリュッセル自由大学歴史批評学教授
歴史批評を近代メディアに適用し、世論を特定の方向に誘導するからくりを体系的に分析してきた。(書籍より)
※ 書籍「戦争プロパガンダ10の法則」の前書き、「また戦争プロパガンダが始まった -― 日本語版によせて」の中で、日米開戦、(真珠湾攻撃、ハルノートなど)に関する記述があります。その評価は正しくないと思います。それとは別に、「10の法則」ひとつひとつは、納得できるものです。
たとえば 2003年 3月20日 イラク戦争
「イラク兵は、保育器を持ち去ってたくさんの赤ちゃんを冷たい床の上に放置して死なせました」
イラクのクウェート侵攻の証言として、クウェートの少女(ナイラ証言)がアメリカ合衆国議会で語った言葉です。
この証言でアメリカ国民の世論は大きく変わりました。クウェートに侵攻したイラクに対して開戦すべきかどうかという世論調査に対して、「すべき」と答えた割合は、11月には37%だったのに、この少女の議会証言で一気に上がり、12月には53%にもなり、開戦へと大きく舵を切ったのでした。
しかし、後に、この議会証言は全くの虚偽であったことが判明したのです。
イラクには「大量破壊兵器」があると言われ、開戦の大義とされましたが、これもついに発見されませんでした。
イラク戦争開戦当時の日本政府は、米国による武力行使を明確に支持しました。 イラクでの民間人の死者は、10万人とも60万人とも言われています。
2003年3月 あなたは、イラクに対する武力行使を支持しましたか?
そして11番目の法則は
「これらの法則はすでによく知られたことであり、戦争が終わるたびに、われわれは、自分が騙されていたことに気づく。そして、次の戦争が始まるまでは「もう二度と騙されないぞ」と心に誓う。だが、ふたたび戦争がはじまると、われわれは性凝りもなく、また罠にはまってしまうのだ。あらたにもう一つの法則を追加しよう」
12.「たしかに一度は騙された。だが、今度こそ、心に誓って、本当に重要な大義があって、本当に悪魔のような敵が攻めてきて、われわれはまったくの潔白なのだし、相手が先に始めたことなのだ。今度こそ本当だ」
アンヌ・モレリ 戦争プロパガンダ10の法則 P9
ニーメラー
ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた、と」
「そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる人は一人もいなかった」
マルティン・ニーメラー(1892―1984)の言葉として知られるものは、米国の記者ミルトン・マイヤーの著作『they thought they were free』(『彼らは自由だと思っていた――元ナチ党員10人の思想と行動』(田中浩・金井和子訳、未来社)〉の中にあり、ある言語学者が次のように語っているのを引用したものです。
1933年、ヒトラーが首相になると、教会を第三帝国教会に一元化してナチズムに利用することや、ユダヤ人牧師などを排除する「アーリア条項」導入を企てます。
第一次大戦末期、Uボート艦長として従軍、その後ルター派の牧師になったニーメラーは、ヒトラーが教会を攻撃した段階で立ち上がり、牧師緊急同盟をつくり抵抗しますが、37年7月、逮捕され、ザクセンハウゼン(後にダッハウ)強制収容所に終戦まで収容されました。(彼の生涯は、D・シュミット著、雨宮栄一訳『マルティン・ニーメラー』(新教出版社)にくわしい)
45年秋、妻とともにダッハウを訪れた彼は、「ここで33年から45年までに238756名の人間が殺された」と書かれた掲示を見て、「自分はもう他人の罪について云々することはできないと感じた」といい、罪の自覚の上に、西ドイツの再軍備や核兵器に反対していきます。
46年1月、ゲッチンゲンでの説教では次のように語っています。
「私には罪がある。なぜなら私は1933年になっても、ヒトラーに投票したし、また正式な裁判なしに多くの共産党員が逮捕され投獄された時にも、沈黙を守っていました。そうです。私は強制収容所においても罪を犯しました。なぜなら、多くの人が火葬場にひきずられて行った時、私は抗議の声をあげませんでした」
あなたは、どの段階で意思表示しますか?
ファシズムの初期症候
政治学者のローレンス・W・ブリット氏が起草したもので、ヒトラー(ドイツ)、ムソリーニ(イタリア)、フランコ(スペイン)、ピノチェト(チリ)ら「ファシスト」と呼ばれた指導者たちの政治手法を分析し、共通項をまとめたものです。
現在の「我が国」は、どのような状態でしょう? 結構、あてはまりませんか?
- 頑強・頑迷なナショナリズム(Powerful and Continuing Nationalism)
- 人権軽視(Disdain for the Recognition of Human Rights)
- 国内統合に向けた敵国ないしスケープゴートづくり(Identification of Enemies/Scapegoats as a Unifying Cause)
- 軍事優先(Supremacy of the Military)
- 性差別の蔓延(Rampant Sexism)
- マスメディアのコントロール(Controlled Mass Media)
- 国家安全保障への執念(Obsession with National Security)
- 宗教と政治の癒着(Religion and Government are Intertwined)
- 企業権力の擁護(Corporate Power is Protected)
- 労働者の抑圧(Labor Power is Suppressed)
- 学問・芸術の軽視(Disdain for Intellectuals and the Arts)
- 犯罪厳罰化への執念(Obsession with Crime and Punishment)
- 身びいきの蔓延と腐敗(Rampant Cronyism and Corruption)
- 不正選挙(Fraudulent Elections)
アメリカ・ワシントンD.C.にある「ホロコースト記念博物館」には、「EARLY WARNING SIGNS OF FASCISM(ファシズムの初期兆候)」と題するパネルが掲示されているという。
書籍の紹介
第1章 虚構の「台湾有事」切迫論
布施 祐二(フリージャーナリスト)
- 想定しているのは「台湾有事」
- なぜ台湾有事が日本有事になるのか
- 歴史的経緯を踏まえた台湾問題のリアリズム
- 外交による戦争の予防を!
第2章 外交なき米軍との一体化 ― メディアの果たすべき役割とは
望月 衣塑子(東京新聞記者)
- 前のめりの岸田政権、後押しするメディア報道
- 外交なき国家のたどる道は ― メディアはまた戦争に加担するのか
第3章 市民を置き去りにした「国家」安全保障のゆくえ
三牧 聖子(同志社大学グローバル・スタディーズ研究科準教授)
- いま日本の考えるべき安全保障とは?
- アメリカ国内に生まれる新しい動き ― 「人間の安全保障」への転換
- 日本の主体的な外交とは ― アジアの一国として
第4章 安保三文書と「高次の法」― 見るべき《現実》と法の《内実》
志太 陽子(武蔵野美術大学教授)
- はじめに ― 安保三文書を考える四つの視点
- 「反撃」なら専守防衛と矛盾しない?
- 安全保障についての「高次の法」と憲法の組み立て
- 決定のあり方の憲法問題性
- 何のための予算か ― 財政民主主義が忘れられていないか
- おわりに ― 安全保障こそインフォームド・コンセントが必要
第5章 個人なき安全保障の隘路から、ケアする政治への転換
岡野 八代(同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授)
- はじめに ― 憲法なき政治は政治なのだろうか
- 立憲主義と民主主義
- 戦争と国家を結ぶ「脅しの政治」
- 個人の尊厳・ケアを中心とした政治へ ― 安全保障を問い直す
あとがき 三牧 聖子
『岸田氏は真の軍事大国化望む』 米誌タイムが報道
米誌タイム5月22・29日号は、岸田文雄首相を表紙とする同首相の特集記事を掲載しました。
表紙では「日本の選択」と題し、「岸田氏は数十年にわたる平和主義を放棄し、日本を真の軍事大国にすることを望んでいる」と断じています。
日本政府の申入れ?により、ウエブサイトでは表現を変えたようですが、タイム誌は日本の針路を的確にとらえています。